▲上の記事は、昭和32年(1957年)7月17日付の『春高新聞第42号』に掲載されたものです。春高バドミントン部の記録としては、おそらく最古のものと思われます。「体育教科の一部として仮設」されたとはいえ、当初は24人も部員がいたということや、見出しには「バドミントン」と表記されているけれども本文では「バトミントン」となっているところは、当時の世相を映し出しているようで興味深いですね。

▼この記念すべき記事は、下のように小さな赤枠部分に掲載されていました。春高新聞全体にとっては小さな記事でも、バドミントン部にとっては大きな一歩となる記事でした。

▼下の記事は、昭和33年(1958年)5月17日付の『春高新聞第47号』に掲載されたものです。出場校数が少なかった時代とはいえ、正式な部になってすぐに関東大会に出場したことになります。先の記事と同様に、当時の掲載された面も紹介しておきます。

▼下の記事は、昭和33年(1958年)7月19日付の『春高新聞第48号』に掲載されたものです。